本田哲也さんは現在、(株)欧州屋を立ち上げヴァイオリンのほか、マンドリン、リュート、ギター、ウクレレその他楽器の販売、修理、調整のお仕事をされています。本田さんに行動力と物づくりの原点についてお伺いしました。

—–学生時代について—–
●ESP学園に入学しよう思ったきっかけは何ですか?
当時から楽器づくりを教えてくれる学校がESP学園しかなく高校生の頃から興味があり学校見学へ行ったのを思い出します。当時の校舎は古い下町の工場のような建物でしたが、見学へ行った時に教室でギターをつくっているところを見て感動したのを覚えています。
●学生時代の思い出は何ですか?
授業が自由で人間関係がとてもよく楽しかった思い出があります。物をつくる楽しさ、快感をこの時に覚えました。在学中は午前クラスで学んでいたので、午後からは当時渋谷にあった(株)ESPの工房でアルバイトをしていました。
—–卒業後について—–
●卒業後のキャリアについてお聞かせください。
卒業後、長野にあった(株)ESPの工場へ就職しましたが、その年の冬に父が病気になったので一度、実家に帰りました。それでも物をつくることが好きだった私は、実家から通うことができる「鈴木バイオリン」という会社で働きました。この会社で働いている時に次第にバイオリンへの興味と魅力が深まり、いっそ本場のイタリアへ渡って技術を極めるためにバイオリン製作の学校に入学しようと思いました。学ぶなら本物を学びたかったんです。

イタリアのクレモナというところにバイオリン製作学校はありましたが、1回目の入学試験は落ちてしまい、2回目でなんとか合格することができました。イタリアの中でもクレモナは特に方言が強く、最初は言葉がまったく理解できませんでした。そこからのスタートでした。イタリアではバイオリンの仕事をするために国家資格が必要ですが、製作学校に通い資格を取得することができました。さらにバイオリン製作のほかにCAD(コンピュータ支援設計)の勉強もすることができました。


現地の学校は国が運営しているので基本的に学費はかかりませんが、食費など生活費は自分で用意しなくてはなりません。私はピザ屋でアルバイトをしてお金を稼ぎましたが、仕事が終わるとピザを食べさせてくれたので何とか生活できました(笑)。
イタリアにはもう一人、堤さんという方が同じくギタークラフト科を卒業生されてバイオリン製作を今でもされていますが、現地ではけっこう日本人が活躍しています。
日本に帰ってからはバイオリンのほかにマンドリンやリュートの製作や修理を手掛けるようになり、現在の会社を立ち上げました。
イタリアにいた時に日本からバイオリンの買い付けに来られた方々とも知り合いになることができたので、その時にできた人脈が大いに役に立っています。ギタークラフト科の授業では刃物の仕立ても教わりましたが、学校で支給されたノミは今でも大切にしていて、バイオリンの魂柱(こんちゅう)という音色を決める重要な部品を加工する時に使っています。学校でもらったノミは重さや大きさが手に馴染んでいるというのもありますが、とにかく切れ味がとても良いです。
初めはギターづくりからでしたが、とにかく木を加工して何かをつくることが好きで、学校で教わったことは確実に今でもいかされていると思います。
●最後に高校生にひとことメッセージをお願いします。
私が成人式に出た時に驚いたのは、周りの友達のほとんどが将来何をやりたいか決まっていなかったことです。私は職人になりたかったのでESPに入りましたが、目的がはっきりしないまま大学へ行く人も多かったですね。
高校生の方には何でも良いので目標を持ってもらいたいです。
お金持ちになるとか有名人になるとかいうことではなくて、何ができる人間を目指すのか?という考えが大切だと思います。
みなさんぜひ好きなものを探してくださいね!
ギタークラフト科卒業生
(株)欧州屋 代表取締役 本田哲也さん